
奈良県で、管理職を含む職員384人が通勤手当を不適正に受け取っていたことが明らかになりました。報道によれば、返納対象者は384人、返納額は合計約1,228万5,000円に上り、この中には課長補佐級以上の管理職65人も含まれていたとされています。県は、認定されていた通勤経路に沿った定期券の写しなど、利用状況を客観的に示す資料を提出できなかった職員が複数いたとして、返納と注意を行ったとのことです。県は今回の原因について、人事異動後の通勤経路変更を失念したことや、制度・運用に関する認識不足を挙げ、「意図的な不正は見受けられなかった」と説明しています。もちろん、個々の職員について刑事上の故意があったかどうかは、慎重に判断されるべき問題です。しかし、だからといって「うっかりだった」「知らなかった」で済ませてよい話ではありません。通勤手当は、単なる福利厚生ではありません。実際の通勤実態に基づき、必要な範囲で支給される給与の一部です。公務員であれば、その原資は税金です。民間企業であっても、その原資は会社の売上であり、他の従業員が働いて生み出した資金です。実際に購入していない定期券、実際とは異なる通勤経路、変更届を出していない古い情報に基づいて手当を受け取っていたのであれば、それは組織に対する重大な不信行為です。特に今回、管理職が65人も含まれていた点は重く見なければなりません。管理職は、本来、部下に対して適正な届出や服務規律を指導する立場です。その管理職自身が、通勤手当について客観資料を示せない状態であったならば、組織全体として「手当は正しく申請しなければならない」という基本的な規律が緩んでいたと見られても仕方ないでしょう。
故意があれば単なる返納ではなく犯罪行為になり得る
通勤手当の不正受給は、故意がある場合、刑法上の詐欺罪が問題となり得ます。刑法246条は、人を欺いて財物を交付させた場合などを詐欺罪として定めています。つまり、実際の通勤経路や購入実態と異なることを知りながら、あえて高い通勤手当を受け取る目的で虚偽の申請を行った場合には、単なる社内手続き上のミスではなく、刑事責任が問われる可能性があります。もちろん、今回の奈良県の件について、個々の職員に詐欺罪が成立すると断定することはできません。県も「意図的な不正は見受けられなかった」と説明しています。しかし、「意図的な不正が確認されなかった」という説明は、「問題が軽い」という意味ではありません。384人、約1,228万円という規模になっている以上、個人の失念だけではなく、制度運用、確認体制、管理職の意識、内部統制のいずれにも重大な問題があったと考えるべきです。公務員には、地方公務員法上、信用失墜行為の禁止などの服務規律が課されています。通勤手当の不適正受給は、金額の大小にかかわらず、公務に対する住民の信頼を損なう行為です。とりわけ給与や手当は、住民の税金によって支えられているものです。「制度をよく理解していなかった」という説明は、税金を負担している住民から見れば、到底納得しにくいものではないでしょうか。社労士の視点から見ても、通勤手当の問題は、単なる経費精算の問題ではなく、労務管理上の規律違反の問題です。会社や自治体が誤った申請を放置すれば、過払いが長期化し、返還請求、懲戒処分、住民・取引先・従業員からの信頼低下につながります。さらに悪質な場合には、懲戒解雇や刑事告訴といった厳しい対応を検討せざるを得ないケースもあります。
労務管理として必要なのは「注意」ではなく仕組みの再構築である
今回のような事案を、単に「返納させた」「厳重注意をした」で終わらせてしまえば、再発防止としては不十分です。通勤手当は毎月支給されるため、一度誤った情報で登録されると、長期間にわたり過払いが続きます。入社時だけ確認して終わりではなく、異動、転居、通勤方法の変更、在宅勤務の増加、定期券の購入状況などに応じて、定期的に実態確認を行う必要があります。民間企業においても、通勤手当規程や賃金規程の中で、実態と異なる申請をした場合の返還義務、変更届の提出義務、会社が必要に応じて定期券や通勤実態を確認できること、悪質な虚偽申請については懲戒処分の対象となることを明確にしておくべきです。これが曖昧なままだと、いざ不正受給が発覚しても、会社として厳正な対応を取りにくくなります。また、労務管理上重要なのは、職員や従業員本人だけに責任を負わせることではありません。人事異動や配置転換があった場合に、通勤経路の再申請を促す仕組みがあったのか。管理職が部下の申請状況を確認する運用があったのか。総務・人事部門が定期的に証憑確認を行っていたのか。ここまで検証しなければ、同じ問題は繰り返されます。通勤手当の不正受給は、「少額だから」「毎月の手当だから」「昔からこの運用だったから」と軽く扱われがちです。しかし、そこにあるのは組織のコンプライアンス意識そのものです。特に公務員の場合、給与の原資は税金です。税金から給与を受けているという自覚を欠いたまま、実態と異なる手当を受け取っていたのであれば、住民の批判は避けられません。今回の奈良県の事案は、自治体だけでなく、民間企業にとっても重要な教訓です。通勤手当は、毎月自動的に支給される「当たり前の手当」ではありません。実態に基づいて、正しく申請し、正しく支給されるべき賃金項目です。労務管理の基本は、制度を作ることではなく、制度が正しく運用されているかを確認し続けることです。通勤手当の管理を甘く見る組織は、いずれ別の労務リスクも見落とします。今回の問題は、そのことを強く示しているといえるのではないでしょうか。



