
健康保険法等の改正案により、花粉症の薬など、いわゆる「OTC類似薬」の自己負担が増える可能性が出てきています。OTC類似薬とは、市販薬と成分や効能が近い医療用医薬品のことです。これまで医療機関を受診し、医師の診断に基づいて処方されていた薬についても、薬剤費の一部が保険給付の対象外となり、患者が追加で負担する仕組みが検討されています。政府としては、限られた医療保険財源を効率的に使うことや、市販薬を自己負担で購入している人との公平性を理由としています。一方で、保団連などからは「国民皆保険の根幹を揺るがすものではないか」と強い懸念が示されています。
問題は「薬代が少し上がる」だけではない
今回の改正案では、対象となる薬剤費の4分の1が保険給付の外に置かれ、患者が「特別の料金」として負担する仕組みが想定されています。たとえば、これまで3割負担で済んでいた薬でも、一部が保険外となることで、窓口で支払う金額は増えることになります。花粉症で内服薬、点眼薬、点鼻薬を処方されているようなケースでは、月1,500円程度の負担増になるとの指摘もあります。もちろん、医療費の増加を抑えること自体は、社会保障制度を維持するうえで避けて通れない課題です。現役世代の社会保険料負担が重くなっていることも事実です。企業も従業員も、毎月かなりの健康保険料を負担しています。しかし、ここで考えなければならないのは、保険料を負担している人が、必要なときに安心して医療を受けられる制度でなければ、健康保険制度への納得感が失われてしまうのではないかという点です。花粉症や頭痛、胃痛、咳、皮膚症状などは、一見すると「市販薬で対応できる軽い症状」と見られがちです。しかし、実際には症状が重い人もいれば、仕事や日常生活に大きな支障が出る人もいます。医師の診断を受けて薬を処方されることと、自分の判断で市販薬を購入することは、本来同じではありません。特に花粉症は、集中力の低下、睡眠不足、倦怠感、目のかゆみ、鼻づまりなどにより、仕事のパフォーマンスにも大きく影響します。運転業務、現場作業、接客業務などでは、体調不良が安全面やサービス品質に関わることもあります。そう考えると、今回の問題は単なる「薬代の負担増」ではなく、働く人の健康管理や企業の生産性にも影響する問題ではないでしょうか。
「受診控え」と「制度拡大」のリスク
社労士の立場から見ると、特に注意すべき点は二つあります。一つは、自己負担の増加によって、受診を控える人が出る可能性です。薬代が上がれば、「少し我慢しよう」「市販薬で済ませよう」と考える人が増えるかもしれません。もちろん、市販薬を適切に使うこと自体は悪いことではありません。しかし、症状が長引いている場合や、原因がはっきりしない場合まで自己判断で対応してしまうと、病気の発見が遅れる可能性があります。企業実務でも、体調不良を抱えたまま出勤する従業員が増えれば、欠勤だけでなく、出勤していても十分に能力を発揮できない状態、いわゆるプレゼンティーズムにつながります。これは労務管理上、決して小さな問題ではありません。もう一つは、今回の仕組みが将来的に拡大されるのではないかという不安です。今回はOTC類似薬が対象とされていますが、制度として一部を保険給付の外に置く仕組みができれば、今後、対象となる薬や負担割合が広がる可能性を完全には否定できません。そうなれば、国民皆保険制度のあり方そのものに関わる問題になります。健康保険制度は、単に医療費を安くする制度ではありません。病気やけがをしたときに、所得や年齢、病気の種類によって過度な不利益を受けることなく、必要な医療を受けられるようにする仕組みです。その意味で、今回の改正は「花粉症の薬代が上がる」という身近な問題であると同時に、保険料を負担している現役世代、企業、そして働く人全体に関わるテーマではないでしょうか。企業としても、制度改正が行われた場合に、従業員へ「市販薬で済ませればよい」と安易に伝えるのではなく、症状が重い場合や長引く場合には医療機関を受診すること、自己判断で無理をしないことを周知する必要があります。健康経営や人的資本経営が重視される中で、従業員の健康は個人だけの問題ではありません。働く人が適切に医療を受け、安心して働き続けられる環境を整えることは、企業の労務管理上も重要な課題です。医療費の抑制は必要です。しかし、そのために必要な受診が控えられたり、働く人の健康が損なわれたりするのであれば、本末転倒ではないでしょうか。今回の改正案については、制度の持続可能性だけでなく、患者負担、受診行動、企業の労務管理への影響まで含めて、慎重に議論していく必要があるのではないでしょうか。



