
2026年7月28日、中央最低賃金審議会の目安に関する小委員会報告で、2026年度の地域別最低賃金引上げ額の目安が示されました。Aランク54円、Bランク56円、Cランク56円となっており、目安どおりに改定された場合、全国加重平均は1,176円となります。今後、各地方最低賃金審議会で都道府県ごとの金額が審議されます。厚生労働省でも7月28日に小委員会報告を受けた中央最低賃金審議会が開催されています。今回の「業種別最低賃金アップ対応」は介護事業所編です。介護事業所では、最低賃金の引上げと同時に、深刻な人材不足への対応、処遇改善加算による賃上げ、資格や役割に応じた賃金差の確保を進めなければなりません。2026年度は介護報酬も期中改定され、処遇改善策が拡充されています。社労士の立場から見ると、今年の最低賃金改定は「最低ラインの時給を直す」という対応よりも、事業所全体の賃金体系を組み直すタイミングと考えた方がよいでしょう。
介護事業所は人材不足の中で最低賃金引上げを迎える
介護業界では、以前から他産業との賃金差が人材確保上の大きな課題となっています。厚生労働省が2026年4月に公表した令和7年賃金構造基本統計調査によると、介護職員の賞与込み給与は月額31.4万円でした。全産業平均(役職者を除く)は39.6万円ですので、差は月額8.2万円あります。介護職員の賃金は近年上昇していますが、他産業の賃金も上昇しており、採用競争は依然として厳しい状況です。人手不足も数字にはっきり表れています。介護労働安定センターの令和6年度介護労働実態調査では、従業員が「不足している」と感じている事業所は全体の65.2%に達しました。特に訪問介護員は83.4%、介護職員は69.1%の事業所が不足感を抱えています。訪問介護員については「大いに不足」「不足」だけでも58.1%です。一方、2024年10月時点の介護職員数は約212.6万人です。厚生労働省は、2026年度には約240万人、2040年度には約272万人の介護職員が必要になると推計しています。必要な人数が増えていく中、2024年の介護職員数は前年からわずか487人の増加にとどまりました。この状況で最低賃金が54円から56円程度引き上げられると、最低賃金に近い水準で働いているパート職員の賃金だけでなく、その上の賃金層にも影響が広がります。例えば、無資格の介護補助者と初任者研修修了者、実務者研修修了者、介護福祉士の時給差が小さい事業所では、最低賃金の上昇によってその差がさらに縮まります。調理、清掃、送迎、事務などの職員を最低賃金に近い水準で雇用している場合も同様です。資格を取得しても、経験を積んでも、新人との賃金差がほとんどない状態になれば、既存職員の納得感や定着にも影響します。
給与費が6~7割を占める介護事業に最低賃金上昇が与える影響
介護事業所の最低賃金対応を考えるうえで、一般的なサービス業と大きく異なるのが人件費の割合です。厚生労働省の「令和7年度介護事業経営概況調査」で令和6年度決算を見ると、介護事業収益に占める給与費の割合は、介護老人福祉施設で63.5%、訪問介護で67.8%、通所介護で60.9%となっています。収入の6割から7割近くを給与費が占めています。同じ調査の収支差率は、介護老人福祉施設1.4%、訪問介護9.6%、通所介護6.2%です。サービスによって収支構造にはかなり差があるため、介護業界全体を一つの利益率で評価するのは適切ではありません。ただし、どのサービスでも給与費の割合が非常に高く、賃金改定が経営へ直結しやすい点は共通しています。さらに介護サービスは、介護報酬によってサービスごとの基本的な報酬が定められています。飲食店や小売店のように、人件費が上がったから翌月から自由に販売価格を上げるという対応が取りにくい点も、介護事業特有の難しさです。2026年度には、この状況を踏まえて介護報酬の期中改定が行われ、改定率はプラス2.03%とされました。介護従事者について月1万円、介護職員については定期昇給込みで最大月1万9,000円の賃上げが可能となる水準の処遇改善策が講じられています。ただ、最低賃金の上昇と処遇改善による賃上げを同じものとして処理すると、賃金体系が崩れやすくなります。
処遇改善加算と最低賃金の関係は特に注意が必要
ここは、介護事業所の最低賃金対応で最も重要なポイントです。厚生労働省の令和8年度「介護職員等処遇改善加算に関するQ&A」では、処遇改善加算を原資とする賃金であっても、臨時の賃金や賞与ではなく、毎月支払われる予定された通常の賃金であれば、最低賃金と比較する賃金に含めるとしています。その一方で、厚生労働省は同じQ&Aの中で、処遇改善加算の目的を踏まえ、「最低賃金を満たした上で、賃金の引上げを行うことが望ましい」と明確に示しています。社労士としては、この考え方を重視した賃金設計をおすすめします。例えば、基本時給1,050円、処遇改善手当を時間換算50円として合計1,100円にしている職員がいたとします。最低賃金が1,100円近くまで上がれば、法律上の最低ラインを処遇改善手当で補う形になります。これでは、国が処遇改善加算によって意図した「介護職員の処遇を改善する」という効果が職員から見えにくくなります。最低賃金を満たす基本部分を確保し、その上に経験、資格、役割などを反映した賃金を設計する方が、賃金制度として分かりやすくなります。介護福祉士を取得したらいくら上がるのか、夜勤を担当できるようになったらどう評価するのか、新人教育、ユニットリーダー、サービス提供責任者などの役割を担った場合にどの程度賃金差を設けるのかを、賃金表の中で整理しておくことが重要です。処遇改善加算については、時給や日給そのものを引き上げる方法も「基本給等の引上げ」として認められています。また、加算額以上の賃金改善を行うことが算定要件となっているため、最低賃金改定後は処遇改善計画と実際の給与設定がずれていないかも確認が必要です。2026年6月から処遇改善加算自体も拡充されており、資格や勤続年数等に応じた昇給の仕組みなどが引き続き重要な要件となっています。最低賃金への対応と処遇改善加算への対応を別々に行うより、同じ賃金表の中で整理した方が運用しやすくなります。
社労士が考える介護事業所の賃金見直し
最低賃金改定前に、まず全職員の賃金を1時間当たりに換算して確認します。パート・アルバイトだけを見るのではなく、月給制の介護職員、介護補助者、調理員、清掃員、送迎職員、事務職員なども対象です。月給者については月給額そのものではなく、最低賃金の対象となる賃金を所定労働時間で時間額に換算します。特に介護事業所では手当が多いため、何を最低賃金の計算に含めているのかを整理する必要があります。通勤手当、家族手当、精皆勤手当、時間外・休日・深夜の割増賃金などは最低賃金との比較から除外されます。夜勤手当を支給している事業所では、深夜割増部分を含めて「最低賃金を超えている」と判断しないよう注意が必要です。次に確認するのが、最低賃金との「差額」です。最低賃金を50円上回っている職員と、300円上回っている職員では影響が全く異なります。最低賃金との差額を職員ごとに確認すると、今回の改定で直接引上げが必要な人、その影響で賃金差が縮まる人が見えてきます。介護事業所では、最低賃金に近い職員だけを引き上げた結果、無資格者と介護福祉士、新人とベテラン、一般職員とリーダーの賃金差が極端に小さくなるケースに注意が必要です。最低賃金改定を機に、資格給、職務給、役割給、勤続・能力に応じた昇給の関係を整理しておくと、その後の採用や昇給判断もしやすくなります。また、時給を引き上げれば、時間外労働や深夜労働の割増単価にも影響します。夜勤の多い施設系サービスでは、基本給の変更だけで人件費を試算すると実際の増加額とずれる可能性があります。社会保険に加入している職員の賃金が上がれば、標準報酬月額の変更による会社負担の増加も考慮します。介護業界では、採用できないこと以上に、現在勤務している職員を失うことが事業運営へ大きく影響します。介護労働実態調査でも、事業所の65.2%が人員不足を感じている状況です。最低賃金への対応を法令上必要な昇給だけで終わらせず、経験や資格、責任が賃金に反映される仕組みを整えることが、人材定着の面でも重要になります。2026年度は、最低賃金の大幅な引上げと介護職員等処遇改善加算の拡充が重なる年です。都道府県ごとの最低賃金額が確定する前に、職員ごとの時間換算額、最低賃金との差額、改定後の年間人件費、処遇改善加算による賃金改善額を確認し、賃金表まで見直しておくことをおすすめします。最低賃金を守るための賃金と、人材を採用・定着させるための賃金を整理して設計すること。 これが、今後さらに人材確保が厳しくなる介護事業所にとって重要な労務管理になります。





