loader image

最新情報

20年ぶりの新紙幣きょう発行

早ければ午前中にもゲットできるかも

20年ぶりに新しい紙幣が7月3日に発行されます。日銀から各金融機関に引き渡され、午前中には一部の金融機関で受け取ることができる見込みです。

新しい紙幣は、渋沢栄一が一万円札、津田梅子が五千円札、北里柴三郎が千円札の肖像としてデザインされます。これは2004年以来20年ぶりのデザイン変更です。

新紙幣 どこの金融機関で受け取りできる

新紙幣の取り扱いについて、埼玉りそな銀行は初日から約100店舗で出金や両替が可能で、午前中には新紙幣を手にできる見込みです。これは渋沢栄一の出身地である埼玉県深谷市を盛り上げるための対応ですが、各店舗の紙幣の数は限られています。一方、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行は初日の取り扱い店舗を限定し、ATMへの新紙幣の充てんも控えます。これらの銀行は4日以降に全店舗で取り扱いを開始し、ATMへの充てんも進めます。セブン銀行も初日は一部のATMで新紙幣を試験的に充てんしますが、当面は旧紙幣の利用が多いと予想されます。

新紙幣の対応状況はまだまだ

公共機関ではほぼ8割から9割が対応済みですが、飲食店などではまだ2割程度しか対応していないようです。賃金アップや原材料費のアップで厳しい折、設備を更新するのは難しいでしょう。

渋沢栄一

渋沢栄一は1840年に現在の埼玉県深谷市に生まれ、幼少期から家業の藍玉製造や養蚕を手伝い、学問を学びました。1863年には幕府に反発し尊王攘夷運動に関わりますが、失敗します。その後、一橋家に仕え、財政改善で手腕を発揮し、徳川慶喜の弟の欧州視察に随行。欧州での経験がその後の人生に大きな影響を与えました。帰国後は明治政府に招かれ、富岡製糸場の設立などに関わり、後に第一国立銀行の頭取となり、多くの企業創設や社会事業に尽力。1931年に91歳で亡くなりました。

津田梅子

津田梅子(つだ うめこ)は、日本の女子教育の先駆者であり、津田塾大学の創設者です。彼女は1864年に江戸で生まれ、6歳の時に岩倉使節団の一員としてアメリカに留学しました。この留学経験が彼女の人生に大きな影響を与え、帰国後は女子教育の重要性を強く感じるようになりました。その後、女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立し、多くの女性に教育の機会を提供しました。彼女の努力により、日本における女子教育の基盤が築かれました。また、彼女は欧米の学術雑誌に論文を掲載した最初の日本人女性でもあります。

北里柴三郎

北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)は、日本の細菌学者であり、近代医学の父と称される人物です。彼は1853年に熊本県で生まれ、1931年に亡くなりました。彼の主な功績には、破傷風菌の純粋培養に成功し、破傷風の血清療法を開発したことが挙げられます。また、ペスト菌の発見にも貢献し、感染症の研究において世界的に知られる存在となりました。慶應義塾大学医学部の初代学部長を務め、北里研究所を設立するなど、教育者としても多大な貢献をしました。

タイトルとURLをコピーしました