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「定年廃止」「週休3日制」を公約に掲げる政治の無責任さが現場を壊す

新党「中道」が消費税減税時期「2026年の秋」明記…高騰する家賃対策や働き方改革で「定年廃止」「週休3日制」 衆院選公約発表 (FNNプライムオンライン(フジテレビ系)) – Yahoo!ニュース

新党「中道改革連合」が衆院選公約として「定年廃止」「週休3日制」を掲げたと報じられました。しかし、労務の実務に携わる社労士の立場から見ると、これは働き方改革というより、耳ざわりの良い言葉を先に置いた人気取りの政策に見えると考えます。なぜなら、定年も休日も単語だけを動かして社会が良くなるほど軽い制度ではなく、雇用契約・賃金・評価・配置・人員計画・採用市場・社会保険負担といった現実の上に乗っている仕組みだからです。政治がこの土台を語らずにスローガンだけで前に進めようとするほど、結局、実装と後始末の負担を背負わされるのは企業と現場の労務担当になり、最後に疲弊して辞めていくのは社員になると考えます。


定年廃止はメンバーシップ型雇用の前提を壊す政策

「定年廃止」という言葉は一見すると正義に聞こえますが、現場の制度設計から見れば、定年は単なる慣行ではなく、雇用をどう終えるかという出口を社会的に納得できる形で作る装置だと考えます。日本の企業の多くは、いまでもメンバーシップ型雇用を前提に回っています。つまり、職務が先にあり人を当てはめるのではなく、人が先にいて仕事を寄せていき、配置転換もあり、役割も変わり、賃金も勤続とともに積み上がりやすい構造になっていると考えます。この仕組みの中で定年は、世代交代や人件費設計を含む“企業の人員構造の整理”を可能にする出口でもあり、本人の側にとっても一定の納得感を持った区切りとして機能していると考えます。ここで政治が「定年廃止」を前面に出すと何が起きるかと言えば、出口だけを消して入口と途中だけ残す状態になりやすいと考えます。定年がなくなれば、企業が雇用を終える局面で頼れるのは年齢到達ではなく、能力不足や職務不適合、健康配慮や配置転換の可否といった個別具体の判断になり、当然、争いの火種が増えると考えます。結局、定年を廃止するなら、その代替として、役割と処遇を結び直し、評価の客観性を高め、配置の合理性を整え、教育訓練と安全配慮まで含めた制度パッケージを示さなければ成立しないと考えます。それにもかかわらず、政治が語るのは「定年廃止」という言葉だけであり、制度の中身を語らない姿勢は無責任そのものだと考えます。さらに厳しく言えば、定年廃止が現場にもたらすのは高齢者活躍の理想だけではなく、若手の昇格停滞やポスト詰まり、賃金制度の行き詰まりといった組織の停滞である可能性が高いと考えます。世代交代の自然な流れが弱まれば、次の世代が報われない構造が生まれ、組織が内側から腐ると考えます。ここまでの副作用を理解しないまま、定年をなくせば良い社会になると語る政治は、雇用の現実を分かっていないか、分かっていても票にならない部分を隠しているかのどちらかだと考えます。


週休3日制は「改革」ではなく人手不足の現場に負担を押し付ける

週休3日制についても、同じ種類の危うさがあると考えます。週休3日が成立する企業があること自体は否定しませんが、それは業務を標準化でき、代替可能な体制を作れ、一定の採用力や業務設計力がある企業だから成立しているだけだと考えます。一方で、現場の多数派である中小企業は、採用難の中で少人数で回し、欠員が出た瞬間に崩れるギリギリの体制で動いているところが多いと考えます。この状況で週休3日を看板に掲げるのは、現場に対して「休め、ただし仕事は減らすな」と命令しているのと同じに見えると考えます。休日を増やすなら、理屈として必要なのは仕事量を減らすか、人を増やすか、生産性を上げるかです。しかし現実には、仕事量は簡単には減らず、人は増えず、生産性だけ魔法のように上がるわけでもなく、価格転嫁すら難しい業種が多いと考えます。この前提を無視して週休3日制を掲げれば、現場に残るのは結局、残業の増加か、管理職の休日対応か、サービス残業の温床か、あるいは顧客対応の質低下だと考えます。つまり週休3日制は、制度として導入することより、実態として維持することの方がはるかに難しいと考えます。さらに、週休3日制が社会に広がる過程で起きる典型的な混乱は、「制度は導入したが回らないので、結局は特定の人だけが穴埋めする」という不公平の固定化だと考えます。中小企業ほど属人化が強く、代替が効かない職種が多い以上、制度を導入するほど負担が一部の社員に集中し、心理的安全性も職場の納得感も崩れていくと考えます。週休3日制を政治が語るなら、本来は休日の理想論ではなく、採用難を前提に回る業務設計や、属人化の解消支援、労働時間管理の現実的な運用モデルまで示すべきであり、そこを欠いた議論は無能な机上の空論にしかならないと考えます。


本当に問うべきは「定年と休日」ではなく制度の整合性と実装責任

結局のところ、問題は定年廃止や週休3日制という個別テーマだけではなく、政治が「制度を実装する責任」を放棄している点にあると考えます。聞こえの良い言葉を掲げるのは簡単ですが、制度は現場で回らなければ意味がありません。そして現場で回らない制度は、改革ではなく混乱を生むだけだと考えます。しかも政治は、混乱が起きても責任を取りません。企業は現場で回すために無理をし、労務担当は火消しに追われ、管理職は疲弊し、社員は離職するという形で社会がコストを払うだけだと考えます。さらに悪いのは、こうしたスローガン型の政策が繰り返されることで、制度改革が「理想の言葉を競う場」になってしまうことだと考えます。本来は、企業規模や業種によって導入可能性が違うのが当たり前であり、移行期間、支援策、現場の負担軽減策まで含めて政策なのに、そこを語らずに定年廃止や週休3日制だけを掲げるのは、社会保障や雇用の複雑さを理解しないまま扇動的な言葉で票を取りに行く姿勢だと考えます。働き方改革を本気でやるなら、制度の入口ではなく出口まで責任を持つことが必要だと考えます。定年廃止を言うなら、メンバーシップ型雇用の中で何を捨て、何を作り直し、どう移行するのかを示すべきです。週休3日制を言うなら、採用難・業務過多・属人化という現場の前提をどう変えるのかを示すべきです。そこを示せないなら、それは改革ではなく、無責任な政治のパフォーマンスに過ぎないと考えます。

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