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高額療養費の上限引き上げは働く現役世代にとって非情な制度改革

政府が決めた高額療養費制度の自己負担上限額引き上げは、働く現役世代にとって非情な制度改革です。現役世代は、社会保険料や税負担が年々重くなる中で、生活費と将来不安を抱えながら働き続けています。その上で、病気になったときに頼るべき制度の負担まで上げるという判断は、国が国民に求めてきた「支える側としての責任」に対する裏切りに近いものです。高額療養費制度は、医療費が高額になっても、治療を諦めずに済むようにするための仕組みです。つまり、ただの給付ではなく、家計破綻を防ぐための安全装置であり、働く人が病気で一気に人生を崩されないための土台です。そこを削る方向の見直しは、制度の目的そのものを弱めます。しかも今回の引き上げは、単に数字が少し変わる話ではありません。生活が苦しい家庭ほど、現実に「医療を削る」「生活を削る」選択を迫られます。制度改革と言いながら、実態としては、医療を受ける権利を家計の余力で分断し、治療継続を自己責任に寄せる判断のように思います。

現役世代は「払う側」なのに病気になった瞬間に切り捨てられる

働く現役世代が感じている苦しさは、医療費が高いという一点だけではありません。物価は上がり、住宅費も教育費も重く、さらに社会保険料の負担感も増しています。多くの家庭は、すでに「余裕を削って何とか回している」状態です。そこに高額療養費の上限引き上げが重なれば、治療費を払うために貯金を崩し、生活費を削り、場合によっては受診回数そのものを減らす方向に追い込まれます。実際、全国保険医団体連合会(保団連)が患者を対象に行った調査では、上限額が引き上げられた場合に「受診の間隔を延ばす、見送る」と回答した人が多数に上りました。生活面でも「貯金を切り崩す」「食費・衣料費を削る」といった回答が目立ち、引き上げが家計に直接の打撃を与える構図が示されています。受診抑制が起きると当事者が答えている時点でこの制度改定は危険です。ここで最も理不尽なのは、現役世代が健康なときは「支える側」として保険料負担を求められ、いざ病気で支えが必要になった瞬間に「負担増」で返される点です。働ける限り納め続けるのに、病気で働けなくなりかけた局面で負担が跳ね上がるなら、制度への信頼は崩れます。社会保障は、困ったときに頼れるからこそ社会の基盤になり得ます。肝心の場面で救われない制度は安心ではなく恐怖を残すのではないでしょうか。

子育て世帯の生活と子どもの将来まで削る改革になっている

この引き上げがさらに非情なのは、当事者だけでなく家族の人生まで巻き込むことです。病気の治療費が増えれば、生活費の中からどこかを削らざるを得ません。その削られる先は、子育て世帯であれば教育費や体験の機会に向かいます。保団連の調査でも、子どもがやりたいことを遠慮して言えなくなる不安や、塾・習い事、体験活動を減らすといった懸念が示されています。治療費の負担増が、子どもの進路や可能性にまで影響する現実が浮かび上がっています。病気は自己責任ではなく、誰にでも起こり得るリスクです。現役世代は、仕事を続け、家庭を守り、子どもを育てながら生きています。その中で突然のがんや難病に直面したとき、必要なのは「制度の支え」であって、「さらに努力して払え」という追加負担ではありません。しかもその追加負担は、本人の生活を削り、子どもの未来を削り、家庭全体に傷を残します。医療費が増え続ける課題を無視することはできません。しかし、解決策が「高額療養費の上限引き上げ」であるなら、それは医療の非効率を正す改革ではなく、患者の治療機会を減らすことで数字を合わせにいく政策です。受診抑制が広がれば、結果として重症化や入院増につながり、長期的には医療費が膨らむ可能性もあります。制度の持続可能性を守る議論をするなら、最初に削るべきは命綱ではありません。高額療養費制度は、働く現役世代の人生を守るためのセーフティネットです。上限引き上げは、その役割を弱め、現役世代に「病気になるな」「病気になったら耐えろ」と言っているのと同じです。だからこそ、この見直しは非情だと批判されるべきであり、また再検討されるべきと考えています。

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