
2026年春闘は、大手企業を中心に高水準の回答が相次ぎ、表面上は「賃上げの流れが続いている」ように見えます。連合も3月19日に回答速報を公表しており、今年も一定の賃上げ機運が維持されていること自体は事実です。しかし、「生活が楽になる局面に入った」と評価するのは早すぎるように思います。実質賃金は、単に基本給が上がったかどうかではなく、物価上昇と社会保険料負担を差し引いた後に、家計が本当に楽になったかどうかで判断すべきものです。そして現在は、その両面から手取りを圧迫する要因が強まっています。厚生労働省の毎月勤労統計では、2026年1月の実質賃金は13カ月ぶりにプラスとなりましたが、これは安定的な上昇局面に入ったことを直ちに意味するものではありません。
賃上げしても手取り増を実感しにくい最大の理由は社会保険料負担の増加にある
2026年4月からは、子ども・子育て支援金制度が本格的に動き出し、医療保険者を通じた拠出が始まります。制度趣旨は子育て支援財源の確保ですが、働く側の感覚としては、給与明細に反映される新たな負担増として受け止められやすいものです。厚生労働省の制度資料でも、子ども・子育て支援金制度の創設が明示されています。ここで重要なのは、今回の負担増が単独で起きるわけではないという点です。賃上げが実施されれば標準報酬月額が上がり、健康保険料や厚生年金保険料も上昇しやすくなります。そこへ子ども・子育て支援金による負担が加われば、社員の手取りは想像以上に伸びません。企業が「今年はしっかり賃上げした」と考えていても、社員側は「控除が増えたせいで思ったほど増えていない」と感じやすく、賃上げの満足度は大きく低下します。これは制度上当然に起きる現象であり、気のせいでも錯覚でもありません。社労士の立場から見ると、ここで最も危険なのは、企業と社員の認識がずれることです。会社はコストをかけて賃上げしているのに、社員は生活改善を実感できない。その結果、「これだけ上げても評価されない」「頑張っても手取りが増えない」という不満が双方に蓄積します。賃上げそれ自体は必要でも、社会保険料や各種控除を踏まえた説明が不十分であれば、定着率やエンゲージメントの改善にはつながりにくいのです。
中小企業では賃上げの継続よりも先に負担増への耐久力が問われる
大手企業では、人材確保や競争力維持の観点から高水準の賃上げを続ける余地がある会社もあります。しかし、日本の雇用の大半を支えているのは中小企業であり、実質賃金の安定的な改善を本当に左右するのは、こちらの賃上げがどこまで持続するかです。連合の2026年春闘集計では全体の高水準回答が注目される一方で、現場実務では「今年は上げても来年以降が続かない」という不安が非常に強いのが実情です。中小企業にとって賃上げは、単なる月例給与の増額では終わりません。基本給を上げれば、企業負担分の社会保険料も増えます。賞与や各種手当、将来の昇給原資にも影響します。つまり、賃上げは一度実施すると固定費として経営に積み上がる性格が強く、景況感が悪化しても簡単には戻せません。そこへ2026年4月以降の子ども・子育て支援金による追加負担まで重なれば、中小企業の「賃上げ疲れ」は今後さらに鮮明になります。しかも、社員側ではそのコスト増が十分に伝わらず、手取りの伸び悩みだけが目につきます。会社は苦労して賃上げしているのに、社員には「生活が楽にならない」と受け止められる。この構図は、中小企業にとって最もつらい局面です。人材確保のために賃上げをしなければならない一方で、賃上げをしても満足度が上がらず、企業負担だけが重くなるからです。したがって、現在の賃上げ局面は、企業にも社員にも達成感が乏しい、非常に苦しい局面だと評価すべきです。
原油高が再燃すれば賃上げ効果は簡単に吹き飛び実質賃金のプラス定着は遠のく
さらに見落としてはならないのが、中東情勢の緊迫化による原油価格上昇リスクです。ロイターは3月中旬以降、中東の軍事的緊張を背景に原油価格が大きく変動していることを相次いで報じており、3月20日にはブレント原油が2022年7月以来の高値水準で引けたと伝えています。ホルムズ海峡をめぐる混乱や中東の供給障害が長引けば、エネルギー価格の高騰は一時的なニュースでは終わりません。原油高の影響は、ガソリン代だけにとどまりません。電気代、ガス代、物流費、食料品価格、包装資材、仕入れコストにまで広く波及します。日本のようにエネルギーを海外に依存する経済では、原油高は企業収益を圧迫すると同時に、家計の生活費も押し上げます。しかも今回は、日本の製油所稼働率にも影響が及んでいると報じられており、単なる海外市況の話ではなく、日本企業のコスト環境そのものを悪化させる要因になっています。こうなると、せっかく賃上げしても、その効果は物価上昇で削られます。しかも2026年は、物価上昇だけでなく、4月からの子ども・子育て支援金によって社会保険料負担も増える年です。つまり、家計にとっては、支出が増える方向と手取りが減る方向が同時に進むことになります。この状況で実質賃金の安定的なプラス定着を期待するのは、かなり楽観的です。単月で実質賃金がプラスになったとしても、原油高と保険料増が重なれば、そのプラスは簡単に消えます。いま起きているのは「賃上げしているのに豊かさを感じない時代」の本格化です。名目賃金は上がる、しかし控除も増える。企業は負担が重くなる、しかし社員の納得感は高まらない。さらに原油高が再燃すれば物価まで押し上がる。これでは、実質賃金の安定的なプラス定着はなお遠いと言わざるを得ません。2026年春闘は前進ではありますが、少なくとも現時点で「賃上げが生活改善につながる局面に入った」とまでは評価できないのではないでしょうか。
仙台・東京虎ノ門の社労士 社会保険労務士法人ブレインズ



