高額療養費制度は、医療費が高額になった場合に、患者の自己負担が一定額を超えないようにするための制度です。健康保険制度の中核をなす仕組みであり、がん治療や難病、長期入院など、誰にでも起こり得る「もしも」に備える最後の安全網として機能してきました。制度の特徴は、医療費の自己負担を月単位で区切り、年齢や所得に応じて上限額を設定している点にあります。上限を超えた分は後日払い戻されるため、突発的な高額医療費によって生活が破綻することを防ぐ役割を果たしています。本来この制度は、相互扶助の精神に基づき、「重い医療費負担が生じたときには、社会全体で支える」ことを目的として設計されてきました。
今回示された高額療養費制度の見直し方針
厚生労働省は、社会保障審議会の専門委員会において、高額療養費制度の見直し方針を示しました。主な方向性は、所得区分に応じて設定されている月ごとの自己負担上限額を引き上げること、特に現役世代の中でも一定以上の所得がある層の負担を重くすることです。その一方で、長期間にわたり高額な治療が続く患者に配慮し、「多数回該当」と呼ばれる仕組みについては現行水準を維持する方針が示されています。また、70歳以上の外来医療費について設けられている外来特例についても、世代間の公平性を理由に上限額を引き上げる方向で調整が進められています。制度の持続性や現役世代の保険料負担の抑制が、見直しの理由として挙げられています。
所得で負担を判断する制度設計の危うさ
今回の見直し案で最も問題が大きいのは、「高所得であれば負担能力がある」という前提に立っている点です。現役世代の所得は、決して固定されたものではありません。がんや難病にかかった瞬間、収入は急激に減少する可能性があります。休職による給与減額、賞与の不支給、昇給や昇進の停止。場合によっては退職を余儀なくされることもあります。所得は、病気と同時に一変します。それにもかかわらず、過去の所得水準を基準にして自己負担を引き上げる制度設計は、現実の生活をまったく反映していません。「高所得だから払える」という考え方は、病気がもたらす経済的・社会的な影響を過小評価しています。
現役世代は「収入が多い世代」ではなく「支出が多い世代」
現役世代は、単に収入がある世代ではありません。税金、社会保険料、住宅費、子どもの教育費、親の介護費用など、多くの支出を同時に背負っている世代です。そこに加えて、医療費の自己負担まで引き上げることは、生活全体に対する圧迫を一気に強めます。社会保険料はすでに、現役世代にとって重い負担となっています。それでも支え続けてきたのは、「自分が病気になったときは守られる」という信頼があったからです。高額療養費制度は、その信頼の中核でした。その制度を、現役世代から先に削ることは、制度そのものへの信頼を揺るがします。
高齢者全体や資産を持つ高齢者の負担は十分に議論されたのか
医療費の多くを使用しているのは高齢層です。また、年金収入だけでなく、預貯金や不動産など一定の資産を保有している高齢者も少なくありません。それにもかかわらず、制度見直しの議論では、現役世代の負担増が先行し、高齢者全体の負担や資産状況に応じた負担のあり方については、踏み込んだ議論が十分になされているとは言い難い状況です。相互扶助とは、単に年齢で線を引くことではなく、負担能力や生活実態を丁寧に見ることのはずです。順序として、まず検討されるべきは、高齢者全体の負担や、資産に応じた公平な負担のあり方ではないでしょうか。
抗がん剤治療の現場で感じる制度の歪み
抗がん剤治療を受けている50代の現役世代の声は、制度の歪みを如実に示しています。休職中の正社員として治療を続け、点滴抗がん剤は1回あたり3万5千円。決して軽視できる金額ではありません。一方、治療の現場では80歳を超える高齢者が多く通院しており、予約が取りにくい状況も生じています。命の価値に差はありません。しかし、平均寿命まで何十年も残されている人と、人生の最終段階にある人を、まったく同じ制度設計で扱い続けることが、本当に公平なのかという問いは、避けて通れないはずです。
相互扶助の名の下で、現役世代が犠牲になっていないか
現在の社会保険制度は、「現役世代が支え続けること」を暗黙の前提としています。しかし、少子化と人口減少が進む中で、その前提はすでに崩れつつあります。相互扶助とは、無限に負担を強いることではありません。支える側が壊れれば、制度自体が成り立たなくなると思います。
制度の数字ではなく、人生の現実を見た議論を
高額療養費制度の見直しは、単なる財政調整ではありません。誰を優先して守るのか、社会としてどの人生を支えるのかという価値判断です。現役世代にとって、高額医療費助成は最後の砦です。その砦を削る前に、本当に見直すべき負担はどこにあるのか。政治には、制度の数字だけでなく、病気とともに生きる人の現実を直視した判断が求められているように感じます。



