
2026年4月9日、自民党が政府に対し、労働基準監督署による残業指導の運用見直しを提言する方針であると報じられました。報道では、月45時間を超える時間外労働についても、現行制度の範囲内で企業が適法に運用できるよう、労基署が36協定や特別条項の締結を支援する役割を求める内容が示されています。経営側から見れば「人手不足の現場を回しやすくしたい」という問題意識なのでしょう。しかし、社労士として先に申し上げたいのは、この報道を見て「残業規制が緩む」「月45時間を超えても問題ない流れになる」と受け取るのは危険だということです。現時点で報じられているのは法改正ではなく、あくまで政府への提言です。
問題は「残業規制の廃止」ではなく「運用見直し」である
まず確認すべきなのは、現行法のルールは変わっていないという点です。労働基準法上、法定労働時間は1日8時間、週40時間が原則であり、それを超えて働かせるには36協定の締結と届出が必要です。そのうえで、時間外労働の上限は原則として月45時間、年360時間です。これは単なる行政指導ではなく、法律上の上限として定められているものです。臨時的な特別の事情がなければ、この原則を超えることはできません。さらに、特別条項を結んでいれば何でもできるわけでもありません。特別条項付き36協定であっても、時間外労働は年720時間以内、休日労働を含めて単月100時間未満、2か月から6か月平均で月80時間以内という上限があり、月45時間を超えられるのは年6か月までです。違反すれば罰則の対象となり得ます。つまり、今回の報道の本質は「月45時間超の残業を自由化する」ことではなく、あくまで労基署の指導や支援の在り方を見直すかどうかという運用上の論点です。ここを取り違えると、会社の実務判断を誤ります。
警戒すべきなのは「使えるなら使おう」という発想
社労士として今回の報道で最も懸念するのは、制度の趣旨が現場で歪んで伝わることです。月45時間は、いまでも残業の原則上限です。特別条項は、慢性的な人手不足や毎月の繁忙を正当化するための制度ではありません。厚生労働省も、限度時間を超える時間外労働が許されるのは「臨時的な特別の事情がある場合」に限られると明示しています。予算・決算、納期逼迫、機械トラブル、大規模クレーム対応など、通常予見できない業務量の増加に対処するための例外であって、恒常的な長時間労働を正当化する免罪符ではありません。現場ではしばしば「特別条項を付けているから大丈夫」「協定さえ出せば回せる」という発想が生まれます。これは非常に危うい考え方です。なぜなら、上限規制の問題は単なる書類の整備では終わらないからです。勤怠打刻と実労働時間がずれていないか、持ち帰り残業が発生していないか、管理監督者に名ばかり運用がないか、休日労働を含めた時間管理が本当にできているか。こうした実態が伴っていなければ、36協定があること自体は会社の免責にはなりません。制度を使えることと、制度を正しく使えていることは、まったく別問題です。長時間労働のリスクは行政対応だけではありません。未払残業代請求、メンタル不調、休職、離職、採用難、現場の士気低下など会社にとって本当に重いのは、むしろこちらです。労基署の指導が少し変わるかもしれないという話に気を取られ、長時間労働に依存する体質を温存するなら、それは経営上の問題を先送りしているにすぎません。制度の運用が多少見直されたとしても、長時間労働そのもののコストが軽くなるわけではないのです。
見直すべきなのは「指導への対応」ではなく「自社の残業体質」
今回の報道を受けて、会社が本当にやるべきことは明白です。労基署がどう動くかを様子見することではありません。先に見直すべきなのは、自社の36協定と実態運用です。特別条項の発動事由が抽象的になっていないか、毎月同じ理由で45時間超が繰り返されていないか、特定の社員に時間外労働が偏っていないか、休日労働込みの上限管理が現実にできているか。こうした点を確認せずに、報道だけを見て「少しやりやすくなるかもしれない」と考えるのは危険です。高市首相の施政方針演説でも、働き方改革の総点検を踏まえ、裁量労働制の見直しや柔軟な働き方の拡大に向けた検討を進める方針が示されています。今後、制度運用の議論はさらに進むでしょう。しかし、そこで求められているのは、無制限に残業を認めることではなく、生産性と健康確保をどう両立させるかという設計の見直しです。ここを読み違えてはいけません。社労士の立場から最後に強く申し上げるなら、この報道を見て安心してはいけません。むしろ逆です。月45時間超の残業が「やりやすくなるかもしれない」という期待を持つ会社ほど、足元の労務管理を点検すべきです。現行法では、月45時間はあくまで原則上限であり、特別条項は例外です。その原則と例外の線引きを曖昧にしたまま現場を回せば、いずれ制度ではなく会社自身が耐えられなくなります。今回問われているのは、労基署の姿勢ではありません。残業に頼らなければ回らない会社の体質を、このまま放置してよいのかという経営そのものの問題ではないでしょうか。
仙台・東京虎ノ門の社労士 社会保険労務士法人ブレインズ



